北九州障害者居住サポートセンターでの日々の活動についてリアルタイムに報告します。
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謹んで新春のお慶びを申し上げます。
皆様には、いかがな新年でしょうか。
センターも年末年始の期間中は転送電話の対応で、特段のこともなく平和なお正月でした。特に今年は初めて若手スタッフが転送を担当してくれたので、私自身も数年ぶりに身軽な感じの一週間でした。
しかし、そんな平和も長くは続かないもの。
昨日の7:00過ぎにMさんからのメール。
「謹賀新年 突然ですけど・・1月20日に結婚します。・・」 まぁ、何はともあれとにかくおめでたい、が一番。
しかし、これまでも何回かこのブログにも登場してくれているMさん。
それなりのサービスや支援を受けながらの一人暮らし3年生。
ご主人になられる方も障害をお持ちの方です。お二人の意向の確認や、同居開始の時期、今後の生活スタイルの変化に伴うサービスの変更や調整など・・見えない課題もあり、まずは区役所で、続いてヘルパー事業所で・・と打ち合わせ。
まずはMさんに明けた感じの新年でした。
年末は、Kさんの突然死にまつわる調整に暮れた感じでしたが、明けて今年は明るいニュースの幕開けです。それはそれでいい年かも・・、期待したいものです。
今年もよろしくお願いいたします。
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今回の生活力スキルアッププランは、ちょっとリッチに??と言うニュアンスとはいささか異なりますが、これまでの復習もかねてのお好み焼き(ぶた玉、いか玉と一銭洋食風の三種)、わかめスープ、そしてクリスマスを意識してのリンゴケーキ。
お好み焼きのこつは生地づくり、とのこと。ひとつまみの塩と卵でまず混ぜ、混ざり終わったところでサラダ油(本当はラードが美味しいとか・・)を加えてまぜて寝かせること。加えてのこつは同じ方向にまぜること、だそうです。
そして、その間にキャベツ、ねぎ、ちくわ、かまぼこなどの具材を切ってスタンバイ。
いざ、フライパンへ・・焼け加減、返し加減に悪戦苦闘しながらもなかなかの力作ぞろいでした。
そして、みんなでそれぞれの種類を食べ比べ。
自分でつくるとなかなか焼け具合がわからず、なんかまずいけどちょっとコツをつかんだかな、いつもはお好み焼きソースの味しかしないけどしっかり具材の味がしますね、初チャレンジのケーキもうまくいったし自分用のクリスマスケーキに再チャレンジしようかな・・、感想もそれぞれでした。
ひとりひとりのこの一年もさまざまでした。
韓国土産の唐辛子チョコの辛さの感想も人それぞれ。
でも、来年もまた一緒に簡単で、おいしいものが作れるといいなぁ・・と思う年の瀬です。
それぞれバリエーションが少しでも拡がることを期待しています。
勉強会③の終了後、福岡空港からソウルへひとっ飛び。法人が交流協定している韓国三育大学の、社会福祉学部開設15周年を記念してのシンポジウムの一こまとして、分科会への参加を招聘されたものです。韓国の冬はとにかく寒い、零下にもなる・・と脅され、分厚く着こんでの旅支度でしたが、予想外に暖かい二泊三日でした。
二日目に一こまの講演、三日目の午前中は民間の精神科病院(精神科単科で開設し、以降内科を併設)と地域精神保健センターの見学、そして大学にもどり、一年生クラスでの講義後、夕方の便で帰国。
シンポジウムの基調講演は、大阪市立大学大学院の白澤教授であり、その後の分科会にも参加され、ちょっと緊張の一時間あまりでしたが・・。
最後の一年生の講義の中で、二つ質問をしました。
一つは、「精神障害者についての印象を教えてください。」
「怖い」、「暗い」、「ぶつぶつ何か言っている」・・、「知らない」ことから生じる感覚は万人共通だと痛感。
もう一つは、「自分が、10年、20年と長期に精神科病院に入院せざるをえなくなり、家族とも社会とも関わりがなくなったと仮定したら、どんな状態になっている(なる)だろうと想像しますか?」
「動物みたいになってしまう。たぶん考えることをやめてしまう。、「もうどうなってもいいと思うだろうし、何をしても変わらないんだと思ったら何もしないと思う。」、「置きものみたいになってしまう。」・・様々な答えが返ってきました。
日本の学生や一般の方々にもよく同様の質問をしますが、まずは知り合うことが原点であり、実際の体験はできなくても「想像できる」人間の力は大きく、そこからいろんなことが生まれることを理解してほしいし、今あるマイナスのイメージがこれからの「学び」の中で、少しでもプラスマイナスゼロからプラスの方向へ転じてほしい、と願って大学をあとにしました。
二日目に一こまの講演、三日目の午前中は民間の精神科病院(精神科単科で開設し、以降内科を併設)と地域精神保健センターの見学、そして大学にもどり、一年生クラスでの講義後、夕方の便で帰国。
シンポジウムの基調講演は、大阪市立大学大学院の白澤教授であり、その後の分科会にも参加され、ちょっと緊張の一時間あまりでしたが・・。
最後の一年生の講義の中で、二つ質問をしました。
一つは、「精神障害者についての印象を教えてください。」
「怖い」、「暗い」、「ぶつぶつ何か言っている」・・、「知らない」ことから生じる感覚は万人共通だと痛感。
もう一つは、「自分が、10年、20年と長期に精神科病院に入院せざるをえなくなり、家族とも社会とも関わりがなくなったと仮定したら、どんな状態になっている(なる)だろうと想像しますか?」
「動物みたいになってしまう。たぶん考えることをやめてしまう。、「もうどうなってもいいと思うだろうし、何をしても変わらないんだと思ったら何もしないと思う。」、「置きものみたいになってしまう。」・・様々な答えが返ってきました。
日本の学生や一般の方々にもよく同様の質問をしますが、まずは知り合うことが原点であり、実際の体験はできなくても「想像できる」人間の力は大きく、そこからいろんなことが生まれることを理解してほしいし、今あるマイナスのイメージがこれからの「学び」の中で、少しでもプラスマイナスゼロからプラスの方向へ転じてほしい、と願って大学をあとにしました。
学習会の3日目を12月1日に行いました。
初日に、皆さんから出していただいた不安なことや、聞きたいこと、教えてほしいこと・・などを二回にわけ、ピアサポーターのお二人の生活風景もおりまぜながら、社会資源の情報なども提供しつつ、3回を一クールとした学習会を終えたところです。
前回にくらべ、質問こそ少なかったのですが、参加の出足もよく、全体としてとても積極性が感じられるような一時間あまりでした。そして、アンケートもとらせていただき、「次」を検討させていただいているところです。
でも、全体を振り返って、やっぱり一番の収穫はピアサポーター力の大きさでしょう。
今回は、ひとり暮らし経験10年、30年という大ベテランのおふたり。
でも、そこそこに自分の生活の楽しみやありようがおしつけではなく感じられ、終始やさしい時間の連続でした。
なれない場面にちょっと緊張しとるよ・・、こんなんでいいかね・・、楽しいよ・・、どうしよるかなぁ?・・と頭をかきながら、疑問の一つ一つに、まじめに、言葉を選びながら、言葉を探しながら・・答えていただきました。
双方に、お二人の話が聞けてよかった、話す機会があってよかった、また参加したい・・と労いあう光景は素敵でした。
久保田さんはいいます。「人間は死ぬまでに200人の人と出会い、別れるといいます。今日のこの出会いを大切にしたい・・」と。
今回のお互いの出会いはほんの小さなきっかけのひとつ。
でも、その小さなきっかけが連鎖し、輪になり、面になり・・拡がっていくことを願っています・・
私たちのきっかけづくりは続きます・・
終わったあとの反省会風景
先日、長崎に旅行して以来、珍しい花があるなぁ・・と気になって仕方がなかった花があった。ところが・・である、なんと実家の庭にかの花が咲いているではないか。聞くと、姉が植えたものだが、田舎はここ数年この花のブームだとか。・・と気にしてみると、この花の咲いている家のなんと多いことか。その多さに二度びっくり。去年も、おととしも見ているようで見ていなかったんだなぁ・・としみじみ。
灯台下暗し・・
最近、それなりに転居後支援で関わっていた人が、続けて、ある人は突然引き払って再入院し、ある人は自分で調整してさっさと転居し、またある人は実家に帰る、と言い出したり・・。日々の移ろいを見ているようでみていなかったか、聞いているようで聞いていなかったのか・・、勝手な思い込みでの関係づくりでしかなかったのか・・、とちょっと凹み気味の11月でもあったのです。
でも、片方で、そろそろ退院したいのでまた家のことを相談していいですか?、との電話をもらったり、転居先を訪ねてみると以前より手厚くもてなしてもらったり、短期間でどうせまた一人暮らし始めますよ・・と達観的な(楽観的ともいえるかも・・)な言葉が返ってきたりすると、いろんなことがあって、ある意味ではそれが当たり前なのかもしれない、これも自身での選択、と考えてもいいのかもしれない・・と思いながら、この週末はあでやかな皇帝ダリアを見つめていました。
皆さんの身近にも、意外と見ていない、皇帝ダリアの花が咲いているかも・・ですよ。

灯台下暗し・・
最近、それなりに転居後支援で関わっていた人が、続けて、ある人は突然引き払って再入院し、ある人は自分で調整してさっさと転居し、またある人は実家に帰る、と言い出したり・・。日々の移ろいを見ているようでみていなかったか、聞いているようで聞いていなかったのか・・、勝手な思い込みでの関係づくりでしかなかったのか・・、とちょっと凹み気味の11月でもあったのです。
でも、片方で、そろそろ退院したいのでまた家のことを相談していいですか?、との電話をもらったり、転居先を訪ねてみると以前より手厚くもてなしてもらったり、短期間でどうせまた一人暮らし始めますよ・・と達観的な(楽観的ともいえるかも・・)な言葉が返ってきたりすると、いろんなことがあって、ある意味ではそれが当たり前なのかもしれない、これも自身での選択、と考えてもいいのかもしれない・・と思いながら、この週末はあでやかな皇帝ダリアを見つめていました。
皆さんの身近にも、意外と見ていない、皇帝ダリアの花が咲いているかも・・ですよ。