北九州障害者居住サポートセンターでの日々の活動についてリアルタイムに報告します。
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隔月の水曜日の夜に行われている抄読会形式の勉強会に参加している。
今、読んでいるのは「精神医学的面接(H.S.サリヴァン)」(中井久夫、松川周二・・共著)
その中に、「前青春期と親友」というこまで、親友(chum)という表現がでてくる。
サリヴァンは、「・・・性を同じくする仲間たちのうちで、一人だけ、本人にその子だけを他の子供と分けて特別扱いするようになるのだが、それはその子のものの見方やその子に必要なものやその子の願いなどが(自分にとって)心の底から大切なものと思えてくるからである。その子は自分とほとんど同じ、いや自分と全く同等に大切な存在になる。こうなると児童期は終わり、前青春期が始まる。この「大切な子」のことを世間では「親友」(chum)という。その子が目の前にいてもいなくても大切さは変わらない。・・」と書いている。
私にとっての「chum」は誰だったろう、いただろうか・・と、サリヴァンの言う「8歳から10歳の間のどこでもよいがもっと遅くてもよい」という時空にタイムスリップする。
当時地域に同級生が男女5人いて、なにやかやいいながらしょっちゅう一緒にいたような・・
私にとってのchumは、幼馴染の「薫ちゃん」だったのかな・・
chumは一時期だけのものかもしれない・・
でも、この時期に限らず、chumと呼べる人がいるに越したことはない。
「前青春期」・・誰にとっても、成長のまっただなかであることに間違いはない。

今、読んでいるのは「精神医学的面接(H.S.サリヴァン)」(中井久夫、松川周二・・共著)
その中に、「前青春期と親友」というこまで、親友(chum)という表現がでてくる。
サリヴァンは、「・・・性を同じくする仲間たちのうちで、一人だけ、本人にその子だけを他の子供と分けて特別扱いするようになるのだが、それはその子のものの見方やその子に必要なものやその子の願いなどが(自分にとって)心の底から大切なものと思えてくるからである。その子は自分とほとんど同じ、いや自分と全く同等に大切な存在になる。こうなると児童期は終わり、前青春期が始まる。この「大切な子」のことを世間では「親友」(chum)という。その子が目の前にいてもいなくても大切さは変わらない。・・」と書いている。
私にとっての「chum」は誰だったろう、いただろうか・・と、サリヴァンの言う「8歳から10歳の間のどこでもよいがもっと遅くてもよい」という時空にタイムスリップする。
当時地域に同級生が男女5人いて、なにやかやいいながらしょっちゅう一緒にいたような・・
私にとってのchumは、幼馴染の「薫ちゃん」だったのかな・・
chumは一時期だけのものかもしれない・・
でも、この時期に限らず、chumと呼べる人がいるに越したことはない。
「前青春期」・・誰にとっても、成長のまっただなかであることに間違いはない。
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