北九州障害者居住サポートセンターでの日々の活動についてリアルタイムに報告します。
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私の好きな窯元のひとつが企救焼。
緑青の色が大好きで北九州土産やお祝いなどの記念の品としてよく使わせていただいている・・
対応していただいたのは、この6月に88歳になられるという、初代光峰氏夫人。
お茶のお相伴にと誘っていただき、お手製のザボン漬けをお茶うけにおしゃべりのひととき。
上野焼から独立し、偶然の中に独特の「緑青」の発色を見、最初みたときはみなその色の深さに思わずのけぞったとか・・、そして今の色か落ち着くまでに8年を要したとか・・、上野焼をそのまま持ってきても企救焼ではない、そんな信念の中の数年だったようです。
物をつくる人は、これで満足ということはないですね・・、日々研さんです・・と。
自分はまったく焼き物を作ったりはしませんけどね・・といわれますが、だからこそ、その真摯な営みがよくわかるのではないでしょうか・・
今回は、夏らしい涼やかな色に見せられて、思わず青磁のゴブレットを購入してしまいました・・
これも日々の研さんのなせる業。
今回は、お祝いの夫婦茶碗を買いに行ったのですが、あいにく値段表示がよくわからず購入は叶いませんでした。でも、次回また行くときの別の楽しみも加わりました・・。
緑青の色が大好きで北九州土産やお祝いなどの記念の品としてよく使わせていただいている・・
対応していただいたのは、この6月に88歳になられるという、初代光峰氏夫人。
お茶のお相伴にと誘っていただき、お手製のザボン漬けをお茶うけにおしゃべりのひととき。
上野焼から独立し、偶然の中に独特の「緑青」の発色を見、最初みたときはみなその色の深さに思わずのけぞったとか・・、そして今の色か落ち着くまでに8年を要したとか・・、上野焼をそのまま持ってきても企救焼ではない、そんな信念の中の数年だったようです。
物をつくる人は、これで満足ということはないですね・・、日々研さんです・・と。
自分はまったく焼き物を作ったりはしませんけどね・・といわれますが、だからこそ、その真摯な営みがよくわかるのではないでしょうか・・
これも日々の研さんのなせる業。
今回は、お祝いの夫婦茶碗を買いに行ったのですが、あいにく値段表示がよくわからず購入は叶いませんでした。でも、次回また行くときの別の楽しみも加わりました・・。
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たくさんの人の涙とため息に送られて一年・・
偲ぶ会にもたくさんの方々が市外、県外、そして一番遠くは北海道からとか・・
そこには、にこやかに語りかける彼の笑顔がありました
本当によく飲み、よく語り、よく笑いあった・・
そして、誰にもやさしく、本当に「人」に、「障害」に、「生活」に真摯に向き合った彼・・
昨年の秋の開催も計画はされたが、あまりに早すぎて涙でしか語れない・・と時期を延ばしての6月開催となったとか・・
故人とはなりましたが、「彼」を通じて、また新しいつながりを作ってほしい・・そんな思いのひととき。
懐かしい人、初めて名前と顔が一致した方、・・、そういえば彼(彼女)との出会いのきっかけも吉田さんだったっけ・・、涙もあるけど笑顔もある偲ぶ会でした。
これからも彼がまいた種は、いろんな形で拡がっていくのでしょう・・
センターがウェルとばた6Fの障害者地域生活支援センターの中に同居して早や一か月になろうとしています。
6月3日(金)の夜は、その両センター職員の懇親会。
美味しい食事と美味しい酒を交わしながら親睦を深めましょう、がコンセプト。
センターからも足を痛めた竹中スタッフは欠席でしたが、3名で参加。
総勢19名、なかなかににぎやかな、和気あいあいの2時間あまり。
当センターからの幹事は、金子スタッフ。
配属されて2か月。
異動の戸惑いの中に、5月には移転。
他己紹介タイムでは、センター職員を代表して金子スタッフがスピーチ。
三人の「おばちゃん」に囲まれて、「若さ」をアピール。
これからも若き牽引力を発揮してほしいと思っています。
突然の訃報・・
朝、亡くなっているのを発見されたって・・
夜中の急死、心筋梗塞だったとか・・
彼と知り合って何年になるだろう・・
20年?、いえいえ30年?、そんなにはならないから、25年くらいかな?・・
知り合った頃は、お互いに、精神科クリニックにいて、クリニック銀座と呼ばれる黒崎の別々のクリニックが勤務先・・
それから、ともにいくつかの職場を変わり、
彼は市外の精神科病院勤務が最後でした・・
最後に彼に会ったのは去年の4月16日。
彼の勤務先の病院が事務局となった地域の精神科病院スタッフの勉強会へお呼びいただいたものでした。
この一年、彼に会っていなかったことが心残りです・・
ずっと、基盤は北九州におきたい、北九州という町での活動をしたい・・と常々口にしていた彼・・
私の周りの同世代は一様にため息をつきました・・、みな明日のわが身に置き換えて・・
私たちもそんな年・・
改めて、「今、(私に)できること」を考えさせられています・・